2019年01月25日
【オリンピック企画】嘉納治五郎その3

~大日本体育協会を創設~
こんにちは!SHIGE★OJIです!さて、柔道と、日本体育の父「嘉納治五郎」について引き続きお話させて頂きたいと思いますが、
この大日本体育協会は、オリンピックの代表選手を派遣するための組織として創設されたものですが、嘉納は同時に、
国民全体への体育の振興つまり、
生涯スポーツの振興に死力を尽くしました。
何歳でも、男女も問わず、経済も関係なく、また運動、武道の上手や下手に関係なくスポーツを!
国民の心身の健康に
1.(長距離の)ウォーキングやランニング
2.水泳:日本は川、海と水が豊富な土地であるため
3.柔道
を推奨しました。
また、女子教育にも熱心で、「各都道府県に最低一つは高等女子高を作るべきだ」と言われていたそうです。
そして1899年体育協会は創設されます。
なんとその拠点は明治神宮外苑です。明治天皇は大変国民が尊敬した人物でした。それを記念し、競技場を定め、フェアプレーやスポーツマンシップを広めたい。
そんな思いで現実化し、戦後のアジア大会、オリンピックの国立競技場として使われました。
日本スポーツの精神
それは、嘉納治五郎が原点だったのです。
その後。後に嘉納が23年も校長を務めた
東京高等師範学校(全国の高校の先生などが学ぶ学校)に体育科を創設
これは現在の「筑波大学」です。
粘り強く、体育・スポーツ教育をしっかり定着させるまで務められました。
そこでも、長距離走や水泳大会、秋の大運動会などが行われました。
また学生は全員柔道か、剣道を選択し、部活動も複数に所属するよう命じられたそうです。
このように、今日の日本の学校教育で行われるスポーツ、体育の基本は嘉納によって作られました。
1915年には、体育専攻者への体育科の設置(当時は体操科と呼ばれ他の教科より、修行時間が短かった)
当時給与、社会的な地位の低かった体育教員に、英語や歴史、心理学等も学べるよう取り入れ、それを文部大臣に認めさせ4年生の体育科を創設。
武道の専門的な教師の育成にも力を注ぎます。
このように、小、中、高校で体育が必修になっている国は世界では少ない、日本が体育を基本から応用、ゲームにいたるまで輸出する形となって発展して行きます。
明日はもう一つの功績
「(中国人)留学生の受け入れ」をお届けいたします。